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牧師コラム

教会堂での礼拝について
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    〇教会堂での礼拝について:

     新型コロナウイルスが猛威を振い、外出自粛が要望されている昨今、多くの教会も礼拝を各家庭で色々な方法でされています。当伝道所も4月は5日も12日も教会堂での礼拝を止めて、各家庭で守っていただきました。特に12日はイースターでもあり教会で守れなかったことは残念なことでした。

     牧師の私が霊的に飢え渇き、教会の皆さんも礼拝堂で礼拝を1回でもやりたいという思いがありました。それで19日は十分な注意をして行いました。短時間でしたが「教会で礼拝が行われたことは良かった」との意見をいただきました。19日は大人6名、子ども3名の9名の出席がありました。CS合同礼拝にしました。遠い北九州から車で2時間以上をかけて出られたA姉(勤務の都合で北九州に行かれた)もおられ、私たち夫妻も車で途中で都市高速を使い、1時間半かかりましたが教会に着きました。汽車(私は片道65分快速で)はやはり避けるようにと周囲から言われていました。A姉は霊的に飢え渇きを覚えて来て良かったと言われていました。ただ政府や県からの指示要請の5月6日までは慎重にしたいと思って、26日と5月3日は各家庭でしていただく事になりました。週報とわたしの説教原稿をラインで流すことになっています。5月10日は「母の日礼拝」ですので、出来れば教会でCS合同で行いたいと願っています。また5月31日は教会3大教会暦の「ペンテコステ(聖霊降臨日)」です。

     しばらくはこのような状態が続くことでしょう。どうぞ主にある教会、皆さまは十分に健康に気をつけていただいて、コロナウイルスの終息を願いながら日々励んで下さい。お祈りいたします。

    | - | 10:27 | comments(0) | - | - | - |
    鳥栖開拓の初期の恵み
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      〇鳥栖開拓の初期の恵みぁ

       色々と思い出しながら書いています。この「牧師コラム」も677通になるようで、10年間書き続けていることになります。本当に多くの方々に読んでいただいて感謝しています。鳥栖(伝)のホームページにも連結していますので、読みやすいと思います。ただ残念なのはホームページの担当でしたG兄が事情で鳥栖(伝)を11月で去られたことで、内容がストップしてしまったことです。5月でプロバイダーの契約が切れるとのことですので、新しく作り直したいと思っています。特定の個人に頼っていますとこのような事態になり、教会の業が停滞してしまうことを今回強く感じました。私の指導力のせいかも知れませんで残念です。

       さて鳥栖(伝)の初期の恵みを何点か書きましたが、今回は地域に名指した働きを述べてみたいと思います。‥時、心が荒れていた中高生や小学生の問題でした。私はPTAや少年野球の指導(コーチ)をしながら、少しでも役立てればと思い尽力させていただきました。それらが認められて地域の「青少年育成指導員」に推薦されました。日曜日の午前中は礼拝がありますので、奉仕はできませんし、もう一つは「結婚式(ブライダル)の司式」の奉仕もしていましたので、上手く時間を使わなければいけませんでした。当時、本当に多くの人々と関わりを持ちました。私はそれらの働きが形式だけに終わらないように、本格的に取り組みました。少年野球もその中から後程「甲子園」に出るほどの子供もいました。ブライダルも専門の式場の設立から顧問的な立場でアドバイスして、カウンセリングや、本格的な司式(メッセージもきちっと入れて)をいたしました。2〜3人の牧師に手伝ってもらい、奉仕料も当時3万円(1回につき)との高額でした。当時のブライダル協会の奉仕料は1万から1万5千円(そこから会費が引かれます)でした。このように地域に信頼されて、伝道のつながりをもちました。やはり伝道は時間をかけて、「信頼関係」を持つことだと思いました。不思議にそこに主も執り成しをしてくださるのです。

      | - | 12:09 | comments(0) | - | - | - |
      新型コロナウィルスに影響を受けて
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        〇新型コロナウイルスに影響を受けて:

         毎日このコロナによる感染、死亡記事が新聞やテレビで報道されて、全国民が憂いています。早く終息に向かってほしいのですが・・・。逆に感染が広がり世界中にその被害が爆発的になっています。首相や知事が非常事態宣言を出して対応に追われています。

         私たちの教会も4月中の祈祷会や、礼拝は5日と12日は休み、各家庭でしていただくようにお願いしました。私の説教要約を参考に、週報もメール添付で送り各家庭礼拝としていただきました。こんな事は初めてであり、大変戸惑いもありました。早く終息するように願う者です。私も長い信仰生活で初めての経験でした。

         5日も12日も準備をして行う予定でした。ところがO兄から「先生、無理をしないで各人家庭礼拝にしたらどうでしょうか」との電話で、教団からの通達も来ていることですし、そのようにしました。メール添付で週報、説教要旨を送り参考にしてもらいました。長い信仰生活でこのようなことは初めてです。ちょうどM姉と電話で話していた中で「11日(土)に鳥栖市で男性のコロナ患者が出ました」との事でした。私の住んでいる宗像市は6名出ています。4月から団地の自治会の役員(組長、副会長)をしていますが、全部の行事や役員会、総会は中止になっています。文章で委任状をとり総会なんかは済ませています。全員マスク姿で出入りしています。この「日の里団地」はマンモス団地で全地域を合わせると7000人近くになります。年間色々な行事があります。

         ともかく早く終息しないと大変なことになりそうで、心配しています。皆さんの地域は如何ですか。お祈りしています。 

        | - | 15:26 | comments(0) | - | - | - |
        イースター礼拝に備えて
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          〇イースター礼拝に備えて:

           皆さんはコロナウイルスの影響を受けておられないでしょうか。十分お気をつけてください。お祈りいたします。ナザレン教団でもアメリカにある世界総本部から監督の手紙が来たり、日本ナザレンの理事長から再度の注意事項の通知が来ています。12日(日)は「イースター礼拝」です。先週は教会としては家庭礼拝(説教要旨を配り)をお願いしましたが、イースター礼拝はぜひ教会で守らせていただきたいと思っています。勿論、イースターエッグ(卵)や食事会はいたしません。短時間で終わりたいと思っています。

           政府からも緊急事態宣言がでまして、この私の住んでいる福岡県も入りました。教会のある佐賀県は今のところ入っていませんが・・・。過去もインフルエンザやサーズがはやった時も大変でしたが、今回は規模が違うようで心配しています。早く終息してほしいですね。

           さて、イースター礼拝ですが、私たちの伝道所は誠に小さな群れです。祈祷会は4月一杯は休みにしています。礼拝は出来るだけ短時間でも教会でしたいと思います。私以外は皆さんが車ですので少しは安心です。私も汽車で通いますが、安全なマスクを着用して十分配慮しています。各教会のイースター礼拝のためにお祈りしています。

          「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」

                                         ヨハネ11:25 

          | - | 11:00 | comments(0) | - | - | - |
          受難週からイースターへ
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            〇受難週からイースターへ:

             

             そのとき、イエスは声高く叫んで言われた、「父よ、わたしの霊をみ手にゆだねます」。

             こう言ってついに息をひきとられた。(ルカ23:46)

             

             いよいよ今年も教会暦では「受難週」を迎え、来週の12日(日)は「イースタ(復活日)です。今週の金曜日(10日)が受難日です。祈りつつ過ごしましょう。

             

            さて、私事ですが、先週の3日(金)に車の免許証の更新をすることが出来ました。75歳以上は必ず受けなければいけない「後期高齢者の認知症検査」を1月14日に受けて、4月1日に飯塚自動車学校で3時間の講習と実技、目の諸検査を受けました。地元の宗像自動車学校では予約が取れなくて、前にいた飯塚自動車学校(前回の3年前にも受けた学校)でようやく予約が取れたのです。大変ハードな3時間でしたが無事に実技もパスして、公安委員会の講習修了証をいただきました。それを持って地元の宗像交通安全協会で「新免許証」をいただきました。昭和42年4月に最初の免許証をいただいて、53年間になります。77歳になりますので恐らく最後の3年間になるのではないでしょうか。80歳で返上しようと思っています。ほとんど毎日乗り続けて53年間無事故で来られたのは主の恵みではないでしょうか。今でも毎日のように車には乗っています。自動車学校で教官が最後に言われた言葉があります。「これから2つの事を言います。ひとつは運転には近回りせずに、遠回りしてもいいから余裕を持ってしてください。二つ目は5分前行動を心掛けてください」との言葉でした。何か他のことにも通じる心がけと感じました。

             

            | - | 15:09 | comments(0) | - | - | - |
            鳥栖開拓の初期の恵み
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              〇鳥栖開拓の初期の恵み:

               いよいよ今日(4月1日)から新年度(2020年度)が始まります。教会暦ではレント(受難節)の中で、来週の5日(日)は棕櫚の聖日です。受難週にも入ります。12日(日)がイースター(復活日)です。世間は新コロナウイルスが猛威を振い、まだまだ終息にはほど遠いです。皆さんも気を付けてください。

               さて、鳥栖開拓伝道の中で大きな働きの一つに「刑務所伝道」があります。これも不思議なお導きの中で「教誨師」になり、12年間奉仕を続けさせていただきました。

              沖縄、九州の中で犯罪を犯して刑に服している女性が入る女性刑務所(麓刑務所)での奉仕です。鳥栖開拓の2年目に鹿児島のK牧師から「私が定期的に麓刑務所を訪問して、ある受刑者のケアーをしたいが、なにせ遠距離で難しいので日下部先生に行ってほしい」とのことでした。私はすぐに行きました。1回目は特別に面会許可がでて会いました。ところが所長が「正式に教誨師になられたほうが面会しやすいですよ」とアドバイスをしてくださいました。さらに「私も推薦しますから鹿児島のK先生(教誨師)から、佐賀県教誨師会長のT先生(僧侶)に推薦状を出してもらいなさい」と親切に言ってくださいました。

               しばらくして正式な教誨師になり、12年間にわたり麓刑務所で最初のT先生の依頼の女性は勿論のこと、多くの女性の方々のグループ教誨(集合教誨いつも30〜40名)や、個人教誨(4〜5年後から)を熱心にやらせていただきました。聖書も特別にギデオン協会から全国会長の鈴木留蔵兄、富永兄(佐賀県ギデオン協会会長)が来られて、特別に贈呈式までしていただき、100冊が備えられて、以降10年間ぐらい各集いに使用されました。

               12年間で6名がイエス様を信じて洗礼の決心をされました。刑務所ですので洗礼式は出来ませんでしたが、出所されてからそれぞれの教会に行き、洗礼の希望を出しなさいと言いました。当時400名ぐらいが収容されている大きな女性刑務所でした。約1割が私のグループ教誨に出てくださいました。讃美歌を2〜3曲歌い、キリスト教ビデオや、テレビから録画したすばらしいお話しを聖書から、また色々な証し集からお話しをいたしました。刑務所は色々な行事がありますから、私は出来る限り出席しました。所長をはじめ刑務官と親しく交わり、信頼していただき大切な矯正教育の一助になったのではないでしょうか。

               全国の多くの刑務所を訪問したり、法務省での研修にも参加しました。論文も書かせていただきました。私にとって刑務所での働きはとっても大切な機会になりました。

               

              | - | 11:13 | comments(0) | - | - | - |
              鳥栖開拓の初期の恵み
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                〇鳥栖開拓の初期の恵み◆

                 懐かしいこの鳥栖(伝)で2019年度最後の礼拝をレントの中で、3月29日(日)に守ります。時は新型コロナウイルスの全国(世界)的に感染被害が猛威を振るっている最中です。短く礼拝をしてすぐに解散いたします。

                 さて鳥栖開拓の多くの恵みが当初ありました。前にも項目は上げていましたが、今日は一番影響を受けた「異端救出」について書いてみます。当時大変な社会現象にもなっていて、社会の各層に大きな影響を与えていました。多くの大学内での活動を例にとっても、特に若い層に広がりを見せていました。若者を取られた家庭は毎日悲しみに明け暮れていました。どのようにそこから脱会させていい分からなかったのです。キリスト教会に駆け込み実情を訴えても牧師方は経験がないし、余り触れたくないとの思いが表れていました。それはある面では仕方がなかったのです。脱会活動にかかわると大変な労力と時間がとられて、本来の牧会に影響が出たのです。それで実際に活動していた私の所に親御さんから相談が次々と寄せられたのです。

                 前後しますが私が最初に関わりを持つようになったのを紹介します。まだ家の教会時代でした。近所のあるおばあさんがある日突然私を訪ねて来られました。「福岡県に住んでいる孫がキリスト教に走ってしまい、家にも帰らないで洗脳を受けてしまったようです。助けてください」とのことでした。その時は全部が同じキリスト教と思われていたらしいです。私はすぐに親御さんに連絡をとり、1年間にわたり救出活動をしました。その青年は真面目な人でしたが、完全に洗脳されて、当初何を言っても信じてくれませんでした。彼女の母親も必死で取り組んでくださり、ついに脱会に成功しました。ところが次の段階が難しいのです。真のキリスト教、真の救い、伝道、愛・・・を説いて、十字架信仰まで導くのに祈りと個人伝道が必要なのです。例えば私たちが当たり前の思っている、同じ言葉の「伝道、愛・・・」すらも、最初は違うように解釈され、もうそこから離れたいと言われるのです。具体的なプロセスは省きますが、家族にとってもある一面では命がけの救出なのです。彼女はすっかり変えられ、真の救いを得られて教会生活に遠い道を車で来られました。

                 それから多くの方々(ほとんどが青年)が脱会され、半分ぐらいの方が真の信仰に導かれました。わたしが命がけで脱会活動をするので、異端の責任者が来たり、見張りをつけられ、教会員が「大丈夫ですか。十分気を付けてください」と言うほどでした。トータル的には10年余りで20人ぐらいの脱会相談にのり、その半数ぐらいが救われたでしょうか。救われた人たち、ご家族はその後の鳥栖伝道に大きな力になっていただきました。これは他の伝道にも言えることですが、多くの家族が言われた言葉が私の心に残っています。それは「子どもや孫の命が救われた。感謝します。この喜びを何に変えたらいいでしょう。」とのことです。マタイ25:40「・・・最も小さいものにしてくれたことは、すなわちわたしにしてくれたことだよ」イエス様のことばです。

                | - | 10:55 | comments(0) | - | - | - |
                鳥栖開拓伝道の初期の恵み
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                  〇鳥栖開拓伝道の初期の恵み 

                   土地、会堂が奇蹟的に与えられたことは前回書きましたが、広い土地と会堂があることは伝道の大きな前進になりました。先ず最も大切な礼拝が自由に出来て、大きな声を出しても大丈夫で解放感が出て来ました。13年間で一度も奏楽者にも困りませんでした。年々若い方が与えられて感謝でした。一方若い方は就職等で都会に出て行かれたり、結婚されたりしてるケースも多くて、送り出す機会が増えてきました。苗床教会の寂しさもいやというほど経験しました。最初に救われたのは2人の精神的に悩みを持った青年男子でした。次に長く教会から離れていた壮年の方でした。次にやはり離れていた中年の女性の方でした。そのうちにあちらこちらから転会して来られる方々が増えて来ました。

                   2ケ月に一度ぐらいに色々な集いをしました。チラシも3年間にわたり2万枚配りました。それで鳥栖市内にナザレン教会の存在が浸透しました。テレホン伝道(3分間10円玉で聞ける福音:鳥栖希望の声)も10年間続けました。前にも少し触れていましたが、地域の働きや刑務所伝道、キリスト教異端の救出、ホスピス活動、その他の医療活動等が実を結び、多くの方々が礼拝に集うようになりました。英会話の活動(ELI)も話題になりました。このようなユニークな働きのことは次回に個々に分けて報告をします。

                  | - | 10:43 | comments(0) | - | - | - |
                  鳥栖開拓の初期の奇跡
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                    鳥栖開拓の初期の奇跡:

                     私が鳥栖開拓伝道に任命されたのは1983年でした。多くの人はまだ10年〜20年早いと言われました。無理もないです。鳥栖は佐賀県の一員で人口6万人ぐらいの小さな地方都市で、キリスト教会も3つ(カトリック教会と2つの小さなプロテスタント教会)だけでした。佐賀県は全国的にも教会、クリスチャンの少ない県の一つでした。人口も東京の世田谷区のほうが多いぐらいでした。当初来た時には「ようこのような所に来たね。どのように教会を建てていくの。教団も無責任だね」と言われました。

                     確かに3年間の「家の教会時代」は大変でした。3人の内の2人の子どもがお世話になったお寺の住職は、私が鳥栖の中でも片田舎の儀徳町に住んで伝道しているのを聞かれて、「ここのお寺の檀家さんを回してあげようか」と言われました。それぐらい同情してくださったのです。田舎町だからこそこのような言葉が出たのでしょう。

                     3年経ちまして教会堂が具体化して、いよいよ献堂式にこぎつけました。参列してくださいました中に、あの「パン屑牧師:加来国生師」が会堂の入り口の三角屋根の上の十字架を見上げて、「日下部牧師、先生は良く頑張ったね。さあいよいよだね。」と励ましてくださいました。同席の理事長に「日下部牧師を一生この佐賀伝道に遣わしてよね」と、命令口調で言われていたのを思い出します。九州7県でナザレン教会が無かったのは佐賀県だけだったのです。佐賀伝道に生涯を捧げてこられた加来牧師(元ナザレン教会牧師)にとって、この地にナザレン教会が建ったのがよほど嬉しかったのでしょうね。

                     教会堂が建ったので多くの方々が来られ、救われ、転入されて来ました。会堂の信頼性、また広い土地を有効に使ったコロニーの働きが浸透して、多くの方々に知られて来ました。

                    「いと小さき者に愛を・・・」(マタイ25:40)が実践として実を結んできたのです。

                    | - | 17:04 | comments(0) | - | - | - |
                    鳥栖開拓の初期の奇跡
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                      〇鳥栖開拓の初期の奇跡◆

                       前回は土地取得について書きました。次に会堂建設につき奇跡が起こりました。土地も当時坪4万円との安価で購入出来ました。勿論、その後に土を盛ったり、周辺にブロックを5段にして土や砂利が漏れないようにしました。そしてすべてに許可が出たのは前回書きましたが、ここで大変な問題が起こりました。1つはすぐに建てないと許可が取り消されるとの問題です。もう一つの問題は隣接の方が入口の道路を封鎖してしまったことです。

                       建築の問題は先ず資金的なことでした。弱わりはてていた時に、地元にあるプレハブ販売のお店を見つけて、解決にいたりました。モデルハウスとしての契約にこぎつけ、安価で建ててくださるとのことで解決しました。この社長は建物本体(会堂、牧師館が一体となる)だけでなく、サービスに立派なカーポートと、8帖の部屋を付けてくださったのです。

                       資金的には全国に献金を呼びかけ、さらに教団からの融資で建物は完成しました。井戸も掘り、屋根には太陽熱の水槽をつけました。色々と工夫をしました。

                       入口の封鎖も話し合いで解決しました。この方はその後に最もな協力者になってくださいました。このような建築は素人の私にとりまして大変なチャレンジでした。ほとんどが私のやりかたでしか出来ませんでした。色々な方々の教えていただき、協力もあおいで完成したのです。まさに神様の奇跡でした。何年かして宿泊施設も与えられて本格的に神のコロニーの働きが前進していきました。御言葉の実践が今お地で進められ行くのです。次回に具体的な働きを書いてみたいと思います。

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