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牧師コラム

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私の想い出に残るキリスト教会:大阪桃谷教会
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    〇私の想い出に残るキリスト教会:大阪桃谷教会

     私の三番目の牧会した教会です。今は亡き青木師(当時の教団理事長)が、新年の元旦に突然嵯峨教会に訪ねて来られて、奥様を嵐山観光に連れて行ってくれないかとのことでした。私は単純に信じて、周辺を少々案内していました。ところがすぐに教会に帰ろうと言われました。私は「まだまだ多くの所が一杯ありますのに」と言いました。「有難う。もういいので教会に帰ってくれる」と再度言われたので帰りました。妻は最初から今回は何かがあると感じていたそうです。そして理事長としての「桃谷教会の大変な問題の説明がなされた」のです。この問題を知る人もだんだん少なくなってきましたので、あえて当事者として証言しておきます。この出来事は教団、いや日本のキリスト教会にとっても大変な問題(教理、牧会)でした。結果的には当時の牧師が何十人(20~30人の中心メンバー)を連れ出して、新しい教会を近くに作るという事でした。その牧師は私の友人でもありました。教会が完全に2分(分裂)された状態でした。結果的には「今、桃谷教会を収められるのは君しかいないから、大変だけど行ってくれないか」とのことでした。私にとっては青天の霹靂(へきれき)でした。

     着任時には両方(離脱者、残る会員)から教団からの回し者のように思われました。それだけ問題が深かったのです。色々な問題が多く残りましたが、神様は不思議なな方で6年間で去った方々の同じ数を教会に加えて(受洗者、転入者)くださいました。詩編121:8の通りでした。私達夫妻にとっても6年間は大変な戦いでした。しかし大きな喜びでもありました。大阪桃谷教会は当時の大阪の超教派の中心教会でした。ナザレンの代表的な教会でもありました。私にとっても大変な牧会伝道の経験を与えられたケースでした。 

    | - | 07:12 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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