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牧師コラム

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時を超えて
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    〇時を超えて:

     今回、引退させていただいて多くのしたい事がありました。ただ現実に引退になると何からしていいか分からなく、焦りました。今までブルトーザーのように直進して来た我が身ですので途方にくれました。幸いと言いますか、担務で鳥栖伝道所の働きに加わらせていただき、35年前(鳥栖開拓伝道の最初)にタイムスリップしたようです。40歳で希望に燃えて、日本で最も伝道困難と言われていた佐賀伝道に、神学校を出たばかりの者がチャレンジするという無謀なスタートでした。それもゼロに近い状態でのスタートでした。

     多くの教会や教団が徹退した地であると後で聞かされたのです。6万人(現在は72000人)の人口の市に教会が1つという不毛の地でした。当時、佐賀県は83万人(東京23区で世田谷区が87万人:ダントツに多い区)と言われていましたが、全国的にも最も教会数の少ない県でした。鳥栖という字を「とりす」と読んだような私が遣わされて、5人家族が途方にくれたのは想像していただけるでしょう。6帖2間の平屋で5人家族が3年間暮らし、「家の教会」として尽力したのです。結果的には3年間は種蒔きのような状態でした。田舎で家々が離れているような状態の中で、3年間ビラを2万枚配り、訪問して頑張りましたがその実は結びませんでした。でも主は見捨てずにバイパスから少し入った中学校の近くに420坪の土地を与え、会堂(牧師館含む)を造り、伝道も大きく前進しました。今は新幹線の新鳥栖駅の近くの地(歩いて7分)になりました。その後、救われる魂、諸事情で転入される方々を多く与えて教会は成長しました。20数名になったのです。地域に根差した共同体として、色々な働きに参与させていただきました。

     そのような鳥栖に20数年ぶりに戻り、再び主の働きに時を超えて加わらせていただくことは、何という恵みでしょうか。建物もそのままので、お金もない状態で自前の会堂を建てて、地域になくてならない教会が、その後の無牧や、困難な時期を超えて今あることを覚えると、ただただ主の恩寵以外のなにものでもありません。どうぞ鳥栖の働きのために覚えてお祈りください。感謝です。

    | - | 09:34 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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