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牧師コラム

鳥栖開拓の初期の恵み
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    〇鳥栖開拓の初期の恵み◆

     懐かしいこの鳥栖(伝)で2019年度最後の礼拝をレントの中で、3月29日(日)に守ります。時は新型コロナウイルスの全国(世界)的に感染被害が猛威を振るっている最中です。短く礼拝をしてすぐに解散いたします。

     さて鳥栖開拓の多くの恵みが当初ありました。前にも項目は上げていましたが、今日は一番影響を受けた「異端救出」について書いてみます。当時大変な社会現象にもなっていて、社会の各層に大きな影響を与えていました。多くの大学内での活動を例にとっても、特に若い層に広がりを見せていました。若者を取られた家庭は毎日悲しみに明け暮れていました。どのようにそこから脱会させていい分からなかったのです。キリスト教会に駆け込み実情を訴えても牧師方は経験がないし、余り触れたくないとの思いが表れていました。それはある面では仕方がなかったのです。脱会活動にかかわると大変な労力と時間がとられて、本来の牧会に影響が出たのです。それで実際に活動していた私の所に親御さんから相談が次々と寄せられたのです。

     前後しますが私が最初に関わりを持つようになったのを紹介します。まだ家の教会時代でした。近所のあるおばあさんがある日突然私を訪ねて来られました。「福岡県に住んでいる孫がキリスト教に走ってしまい、家にも帰らないで洗脳を受けてしまったようです。助けてください」とのことでした。その時は全部が同じキリスト教と思われていたらしいです。私はすぐに親御さんに連絡をとり、1年間にわたり救出活動をしました。その青年は真面目な人でしたが、完全に洗脳されて、当初何を言っても信じてくれませんでした。彼女の母親も必死で取り組んでくださり、ついに脱会に成功しました。ところが次の段階が難しいのです。真のキリスト教、真の救い、伝道、愛・・・を説いて、十字架信仰まで導くのに祈りと個人伝道が必要なのです。例えば私たちが当たり前の思っている、同じ言葉の「伝道、愛・・・」すらも、最初は違うように解釈され、もうそこから離れたいと言われるのです。具体的なプロセスは省きますが、家族にとってもある一面では命がけの救出なのです。彼女はすっかり変えられ、真の救いを得られて教会生活に遠い道を車で来られました。

     それから多くの方々(ほとんどが青年)が脱会され、半分ぐらいの方が真の信仰に導かれました。わたしが命がけで脱会活動をするので、異端の責任者が来たり、見張りをつけられ、教会員が「大丈夫ですか。十分気を付けてください」と言うほどでした。トータル的には10年余りで20人ぐらいの脱会相談にのり、その半数ぐらいが救われたでしょうか。救われた人たち、ご家族はその後の鳥栖伝道に大きな力になっていただきました。これは他の伝道にも言えることですが、多くの家族が言われた言葉が私の心に残っています。それは「子どもや孫の命が救われた。感謝します。この喜びを何に変えたらいいでしょう。」とのことです。マタイ25:40「・・・最も小さいものにしてくれたことは、すなわちわたしにしてくれたことだよ」イエス様のことばです。

    | - | 10:55 | comments(0) | - | - | - |
    鳥栖開拓伝道の初期の恵み
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      〇鳥栖開拓伝道の初期の恵み 

       土地、会堂が奇蹟的に与えられたことは前回書きましたが、広い土地と会堂があることは伝道の大きな前進になりました。先ず最も大切な礼拝が自由に出来て、大きな声を出しても大丈夫で解放感が出て来ました。13年間で一度も奏楽者にも困りませんでした。年々若い方が与えられて感謝でした。一方若い方は就職等で都会に出て行かれたり、結婚されたりしてるケースも多くて、送り出す機会が増えてきました。苗床教会の寂しさもいやというほど経験しました。最初に救われたのは2人の精神的に悩みを持った青年男子でした。次に長く教会から離れていた壮年の方でした。次にやはり離れていた中年の女性の方でした。そのうちにあちらこちらから転会して来られる方々が増えて来ました。

       2ケ月に一度ぐらいに色々な集いをしました。チラシも3年間にわたり2万枚配りました。それで鳥栖市内にナザレン教会の存在が浸透しました。テレホン伝道(3分間10円玉で聞ける福音:鳥栖希望の声)も10年間続けました。前にも少し触れていましたが、地域の働きや刑務所伝道、キリスト教異端の救出、ホスピス活動、その他の医療活動等が実を結び、多くの方々が礼拝に集うようになりました。英会話の活動(ELI)も話題になりました。このようなユニークな働きのことは次回に個々に分けて報告をします。

      | - | 10:43 | comments(0) | - | - | - |
      鳥栖開拓の初期の奇跡
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        鳥栖開拓の初期の奇跡:

         私が鳥栖開拓伝道に任命されたのは1983年でした。多くの人はまだ10年〜20年早いと言われました。無理もないです。鳥栖は佐賀県の一員で人口6万人ぐらいの小さな地方都市で、キリスト教会も3つ(カトリック教会と2つの小さなプロテスタント教会)だけでした。佐賀県は全国的にも教会、クリスチャンの少ない県の一つでした。人口も東京の世田谷区のほうが多いぐらいでした。当初来た時には「ようこのような所に来たね。どのように教会を建てていくの。教団も無責任だね」と言われました。

         確かに3年間の「家の教会時代」は大変でした。3人の内の2人の子どもがお世話になったお寺の住職は、私が鳥栖の中でも片田舎の儀徳町に住んで伝道しているのを聞かれて、「ここのお寺の檀家さんを回してあげようか」と言われました。それぐらい同情してくださったのです。田舎町だからこそこのような言葉が出たのでしょう。

         3年経ちまして教会堂が具体化して、いよいよ献堂式にこぎつけました。参列してくださいました中に、あの「パン屑牧師:加来国生師」が会堂の入り口の三角屋根の上の十字架を見上げて、「日下部牧師、先生は良く頑張ったね。さあいよいよだね。」と励ましてくださいました。同席の理事長に「日下部牧師を一生この佐賀伝道に遣わしてよね」と、命令口調で言われていたのを思い出します。九州7県でナザレン教会が無かったのは佐賀県だけだったのです。佐賀伝道に生涯を捧げてこられた加来牧師(元ナザレン教会牧師)にとって、この地にナザレン教会が建ったのがよほど嬉しかったのでしょうね。

         教会堂が建ったので多くの方々が来られ、救われ、転入されて来ました。会堂の信頼性、また広い土地を有効に使ったコロニーの働きが浸透して、多くの方々に知られて来ました。

        「いと小さき者に愛を・・・」(マタイ25:40)が実践として実を結んできたのです。

        | - | 17:04 | comments(0) | - | - | - |
        鳥栖開拓の初期の奇跡
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          〇鳥栖開拓の初期の奇跡◆

           前回は土地取得について書きました。次に会堂建設につき奇跡が起こりました。土地も当時坪4万円との安価で購入出来ました。勿論、その後に土を盛ったり、周辺にブロックを5段にして土や砂利が漏れないようにしました。そしてすべてに許可が出たのは前回書きましたが、ここで大変な問題が起こりました。1つはすぐに建てないと許可が取り消されるとの問題です。もう一つの問題は隣接の方が入口の道路を封鎖してしまったことです。

           建築の問題は先ず資金的なことでした。弱わりはてていた時に、地元にあるプレハブ販売のお店を見つけて、解決にいたりました。モデルハウスとしての契約にこぎつけ、安価で建ててくださるとのことで解決しました。この社長は建物本体(会堂、牧師館が一体となる)だけでなく、サービスに立派なカーポートと、8帖の部屋を付けてくださったのです。

           資金的には全国に献金を呼びかけ、さらに教団からの融資で建物は完成しました。井戸も掘り、屋根には太陽熱の水槽をつけました。色々と工夫をしました。

           入口の封鎖も話し合いで解決しました。この方はその後に最もな協力者になってくださいました。このような建築は素人の私にとりまして大変なチャレンジでした。ほとんどが私のやりかたでしか出来ませんでした。色々な方々の教えていただき、協力もあおいで完成したのです。まさに神様の奇跡でした。何年かして宿泊施設も与えられて本格的に神のコロニーの働きが前進していきました。御言葉の実践が今お地で進められ行くのです。次回に具体的な働きを書いてみたいと思います。

          | - | 16:40 | comments(0) | - | - | - |
          鳥栖開拓伝道の初期の奇跡
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            〇鳥栖開拓伝道の初期の奇跡

             もう30数年になりますが、開拓伝道の中で数々の不思議な導きを受けました。3年間は苦闘の連続でしたが、あの韓国教会がリバイバルしたのが「涙の祈り、宣教の汗」と言われたのを聞いていましたので、神様は必ずこの地で教会を建て上げてくださると信じて数々の種まきの働きをしました。そして13年間の働きの中で、多くの出会いがありました。先ず今回は土地取得と会堂建築について証したいと思います。何と言っても会堂がないと働きが進みません。経済的な保証も、教会員も数名の中で私は無謀な祈りをしました。

            「スーパーやパチンコ店は広々と土地を確保して、人々は多く出入りしています。ところが教会は狭く、人々も余り集まらないのはどこに原因があるのでしょうか。どうぞ広い土地を与えてください。会堂を与えてください。宿泊施設も与えてください。キリストのコロニー(共同体)を作りたいのです。御言葉の実践をここで果たしたいのです」と切に祈りました。そして何か所か見て回りました。ところが全部条件が合わないのです。お金はないし、狭い土地ばかりで、いいなあ思った所は不便であったり、べらぼうに金額が高く手が出せません。2年間ビラを配りながら、自分の目で確かめながら探していたのです。もうダメかとあきらめかけた時に、ある方が相談にのってくださり、鳥栖のバイパスから少し入った所に、農地ではあるが417坪の土地があると言ってくださいました。但しその土地は事情があって抵当権に入っていて、大変むつかしい条件が幾重にもあるとの事でした。

             結論的には1年間かかりすべてをクリアーして、無事に購入できました。経済的な面や、開発行為の条件も県、市から許可がおりました。1つ1つあげましたら書ききれないぐらいですので省略しますが、神様の奇跡でした。2011年には近くの所(歩いて7分)に新幹線の新鳥栖駅ができました。駅周辺は急速に発展しています。教会の100mぐらい前を九州新幹線が走っています。会堂(牧師館付)も出来て、その後に宿泊施設も出来ました。まさに「無から有を」です。あのマリヤが「神にはなんでもできないことはありません。」ルカ1:37とあります。ハレルヤ!

            | - | 20:29 | comments(0) | - | - | - |
            鳥栖開拓伝道の最初の思い出
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              〇鳥栖開拓伝道の最初の思い出:

               1983年(昭和58年)4月から鳥栖開拓伝道に従事しました。私が40歳の時でした。東京のナザレン神学校を卒業しまして、幼い子ども3人と妻の5人家族で、東京を旅立ち途中でそれまでお世話になった教会に立ち寄り、やっと鳥栖に辿り着きました。3月末の雨の夜でした。疲れ果てた子どもが泣いて途方にくれたのを昨日のように思い出します。6帖2間の部屋を先に着いていた荷物を片付けて、子どもを早く寝させて落ち着かせなければと思いました。生活に落ち着くのに2週間ぐらいかかりました。

               最初の1週間は諸手続きに奔走しました。やっと子ども達の保育園や小学校の手続きをして、特例処置で許可されて通い始めました。保育園は送り迎えがありますので最初は大変でした。鳥栖市の郊外の儀徳町という所で3年間住みました。まさに「家の教会」でした。日本の中で有名な超保守県である佐賀県に、いきなりキリスト教の教会と言っても、誰も見向きもせず3年間は公私共々大変でした。

               

              「涙をもって種蒔くものは、喜びの声をもって刈り取る。種を携え、涙を流して出て行く者は、束を携え、喜びの声をあげて帰ってくるであろう。」詩編126:5〜6

               

              3年間で2万枚のビラ(無料提供)を配布し、車にスピーカーをつけて鳥栖中を何回も巡りました。生活も伝道も大変でしたが、神様は私たちを見捨てず、時間はかかりましたが色々な実を結ばせていただきました。苦闘していた時に同じ佐賀県で伝道されていた加来国生牧師(有名な通称パン屑牧師)が来てくださり「ここは伝道が大変難しい所だけれども、日下部先生の中にあるものがあるなら大丈夫だよ」と励ましてくださいました。それから何回も来て献金もしてくださり、先輩(私の母教会の京都本町教会の戦前の大先輩)牧師として色々なアドバイスもしてくださいました。

              | - | 12:11 | comments(0) | - | - | - |
              3月を迎えました
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                〇3月を迎えました:

                 今年も年度末の3月を迎えました。1日の礼拝は新コロナウイルスの影響で、教団からの通達もあり「教会での礼拝を中止」にして「家庭礼拝」にしました。私の長い信仰生活55年、牧会生活37年で初めての経験です。確かに各学校や人の集まる施設もお休みになり、ウイルスの侵入を防ごうと各方面で努力されている様子が分かります。前任教会の飯塚教会でも3月のすべての教会行事を中止にし、1日、8日の礼拝を休み、各家庭で礼拝を守るようにと通知されています。今回の新型コロナウイルスは高齢者に危なく、多くの高齢者が感染され死亡されています。十分気をつけて行きたいと思います。「手洗い、うがい、マスク着用」と基本的なことを守り、余り多くの人々が集まる場所には行かないようにしています。

                 私の大好きなスポーツも無観客試合や中止、延期になっています。8日から始まる予定のあの「大相撲春場所」すらも分かりません。1日に結論が出るとのことです。1日の「東京マラソン」も一般参加の38000人を断り、選手だけの大会になるとのことです。

                 日本中いや世界中が大変な状況です。早く終息してほしいです。そのことを祈るのみです。今年はオリンピックも日本であり、終息しないと大変なことになります。これからも新しいウィルスが次々と人類を襲ってくるでしょう。災害とともに防御する体制が大切になって来ています。病気のガンもそうですね。時代が大きく変化しています。それも私たちの思いを遥かに超えたスピードです。これからの世界、社会、そして日本はどのような道を進んで行くのでしょうか。

                 

                | - | 08:08 | comments(0) | - | - | - |
                主の憐みといやし
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                  〇主の憐みといやし:

                  「イエスは舟から上がって、大ぜいの群衆をごらんになり、彼らを深くあわれんで、そのうちの病人たちをおいやしになった。」マタイ14:14

                   

                   以前この鳥栖で最初の開拓伝道をしていた時に、福岡の空港近くにある「亀山栄光病院」で「ホスピスケア―」の働きが始まり、私も協力牧師会の一員として加わらせていただきました。勉強会にも参加し、実際の働きにも参加させていただきました。院内や病室には讃美歌が

                  流れ、緩和ケアーを主に牧師も心のケアーに加わり、多くの方々が心いやされて、そこから主イエスを信じ洗礼を受けられました。病院にはチャペルがあり、そこでは結婚式があり、お葬式もされました。

                   緩和ケアーの定に次のような一文があります。「緩和ケアーとは、生命を脅かす疾患による問題に直面している患者とその家族に対して、痛みやその他の身体的問題、心理社会的問題、スピリチュアルな問題を早期に同定し、適切な評価と治療によって、苦痛の予防と緩和を行うことでQOL(Quality of Life:生活の質)を改善するアプローチである。」(WHO2002の定義)

                   

                   終末期(ターミナルケアー)だけでなく、早期におけるガンにたいしても全人的なケアーが行われるのです。患者がかかえる困難に対してチームアプローチで対処するのです。家族もケアーの対象とし、死別後の遺族の悲嘆にも配慮するのです。

                   大阪でも私が牧会していた教会近くに「湯川胃腸科病院」があり、ホスピスの認可がでてスタートされた時に、チームスタッフの一員、チャプレンとして加わりました。栄光病院での経験もあり、私は大切な働きをさせていただきました。信仰に導かれた方々の涙と喜びの洗礼式を何組かさせていただき、家族も参加されて素晴らしい証の時になりました。思い出を語れば一杯ありますが、私にとりましても慰めの時でした。病気の半数以上が「ガン」との時代に、「ホスピス」の働きはますます大切になってきました。

                   

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                  プラス思考
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                    〇プラス思考:

                     いよいよ2月も23日が最後の礼拝になりました。何回も書いて恐縮ですが、月日の経つのは速いですね。3月が年度末の月となります。引退して2年間に渡り担務牧師として鳥栖(伝)に遣わされて、4月より3年目に入ります。年賀状に2年目に入りますと書いたような気がして、今頃気付いたような思考の上ではスローテンポになっています。

                     先日も車の運転免許の切り替えで「認知症検査」を受けたと書きましたが、2次の実技や講習の検査の予約が取れなくて困っていました。地元の自動車学校で1月、2月と問い合わせたのですがダメで、ついに前にいた飯塚の自動車学校に問い合わせたところ、4月1日だといいとの事でほっとしました。前回も同じ所で講習を受けましたので良かったです。ただし3時間ぐらいのハードな講習らしいです。私の運転も最後の3年間になるでしょう。勿論、今は買い物等でほぼ毎日車に乗っています。逆に運動不足になり、整体師やお医者さんに「少しでも歩かないとダメですよ」と言われています。4月28日で満77歳ですので、最近は「もう少し生かされたいね」と妻との合言葉になっています。

                     さて23歳で信仰を持たせていただいて、終始変わらないのは「主が守っていてくださるから、真面目に真すぐに裏表なしに従おう。そして希望を失わずにプラス思考で取り組もう」との思いで今まで来ました。15年間社会人として仕事に励み、35年間牧会伝道に全国の5教会(地方、都会)で託された働きをさせていただきました。

                     引退後は全国の超教派の教会を回り、お交わりをしながら牧師先生方や、信徒の方々とお話が出来たらいいなあと思っていました。現時点では実現していませんが、鳥栖再開拓に遣わされることになり驚きましたが、これも主のお恵みだと快くお受けさせていただき、現在に至っています。私が35年前に開拓した教会という不思議な出会いでした。普通はこのようなケースはあまり聞いたことはありません。片道1時間半ぐらいの時間ですが、これも主の恵みの時として有効に生かしています。数名の礼拝(CS礼拝2〜3名、一般礼拝5名ぐらいの2部構成)ですが、楽しく礼拝を守っています。3家族ですが「小さいながらも楽しい我が家(教会)」です。これからも主にあって「プラス思考」で前進させていただきたいと思っています。ハレルヤ!

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                    春を待ち望みつつ
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                      〇春を待ち望みつつ:

                       2月も中旬を過ぎ18日を迎えました。ナザレン教団も18〜19日まで東京で年会を開催しています。今年は小年会にあたり代議員制をとっています。教団の役員や各地区(全国で9地区)の幹事、信徒地区代表等が参加します。2年前までは私も地区幹事として参加していました。昨年は大年会で教団役員と全国の教会の牧師、信徒が代議員として参加している大きな年会でした。昨年は4人の牧師と共に「引退式」をしていただき感謝でした。

                       ナザレン教団も重要な長年の課題でした「本部ビルのリホーム」も終わり、いよいよ伝道に前進する時を迎えました。今年は「東京オリンピック」が行われる年です。2020年という記念すべき年になりました。当教団的には神戸の舞子ビラホテルで「全国大会」が計画されています。日本ナザレン教団創立90周年を東京の新築なった「ホテルイースト21」で、全国から、またアジアからの来賓も含めて1000名という記念大会が、確か1999年に持たれました。その年会の大きな議題の1つに「ナザレン宣教大会」を神戸の舞子ビラで行うことが議決されて、伝道委員長に選ばれた私が大会実行委員長として、多くの実行委員の方々と共に尽力したのを昨日のように思い出します。同じ場所で9月に全国大会が行われるのも不思議な主の計画のように思えます。成功することを祈ります。

                       さて、昨日と今日にわたり「初雪」が九州の北部に降るとの天気予報で心配していましたが、大雪どころかほとんど降らなくホットしています。もう春がそこまで来ているような感じです。しかし「コロナウイルス」が収束せず、まします拡大しており心配です。十分気をつけていただきたいと思います。

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