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牧師コラム

年会印象記
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    〇年会印象記:

     最近はほぼ毎年にわたり年会には出席させていただいていました。2年に一度の小年会は代議員制ですので、各教会の全員の牧師、信徒は出られません。私の場合は各地区で幹事をさせていただいていましたので出席しました。

     さて今年の第72回年会は理事長選挙や半数の理事改選もあり、おおいに注目されていました。アメリカの世界総本部からも監督が来られ、開会宣言や聖会メッセージ、長老按手式等に奉仕されました。その他にアジア太平洋ゾーンのコーディネーターや、マニラの神学大学の学長他が来賓として出席されました。数名の日本人牧師が手分けして英語の通訳をして、日本ナザレン教団も国際化してきたと感じました。

     この2年間に2名の現職の牧師が天に召され、5名の牧師が引退いたしました。70歳以上の牧師が14名もおられ、新旧交代の時期に来ているのではないでしょうか。各地に無牧教会があり、信徒や地区の牧師が交代で応援しているのが現状です。この現象はナザレン教団に限らず、他のキリスト教団にも多くある状態です。神学生が少なく、各教会でもCS(教会学校)生徒がいなくなり、青年層もいないとの現象が現れてきました。教勢報告を見ていましても近年推移がよく分かります。危機感一杯です。でもこんな時だからこそ皆で祈り、どうしたら教会に人が集まることができるのかを真剣に討議し、実践しなければなりません。今年の6月に教団伝道部主催で「ナザレン伝道会議」が、大阪で計画され、来年にはナザレン合同宣教大会が神戸で行われます。大いに期待して祈りたいと思います。

    | - | 09:53 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
    ナザレン教団第72回年会に出席して
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      〇ナザレン教団第72回年会に出席して:

       昨日まで3日間大阪で年会に出て、昨日夜帰宅いたしました。新幹線の座席指定券が取れず、1時間待ってやっと取れました。小倉に着いたのが夕方6時頃になったので、夕食を夫妻で駅の地下レストラン街で取り、小倉から東郷まで各停で帰りました。30分間のところ約倍の55分間間ぐらいかかりました。

       さて、今日はあの東日本大災害から8年目の日です。まだ完全には復興していない地が多いです。改めて祈りたいと思います。東京でも実際に経験したものとして改めて記憶に留め、これからも私でも出来ることからさせていただきたいと思うものです。

       もう一度、年会に戻して印象を書かせていただきたいです。特に今年は私たち夫妻にとりまして、昨年引退いたしましたので、3月10日(日)の合同礼拝の前に「引退感謝式」を他の4名の教職(この2年間に引退された方々)と共に、受けさせていただいたことが最も感謝なことでした。理事長から謝辞をいただき、貴重な漆塗りの板に黒地に金文字で聖句と謝辞が書いてある置物を頂きました。、帰宅して開いて感謝しました。妻と共にお招きいただき晴れがましい講壇に上がらせていただき恐縮いたしました。今まで支えてくれました妻がいたからこそ、ここまで来られたのだと改めて思い、感謝の挨拶のなかで思わず口からそのような言葉が出てしまいました。その直後に多くの方々の拍手が起こりました。私にとりまして何よりの贈りものでした。妻に少々報いられたのではと思いました。

       年会は新理事長選ばれ、新しい執行部体制になりました。また多くの牧師の移動がありました。私も再び担務として鳥栖(伝)に遣わされました。感謝なことです。健康が許すかぎり奉仕を喜んで続けさせていただきたいと思いまう。どうぞこれからもお祈りをよろしくお願いいたします。特に妻の健康(重いリュウマチ、糖尿病がこれ以上悪化しないように)の

      ためによろしくお願いいたします。

      | - | 15:27 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
      年会を前にして
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        〇年会を前にして:

         いよいよ明日から3日間にわたり「第72回ナザレン年会」が大阪の南港にある「ホテルフクラシア大阪ベイ」で行われます。有名な国際会議場で以前からナザレン教団の大年会(2年に一度)は、この会場で行われています。新大阪から乗り継いで南港まで行きます。おそらく私にとって年会出席は今回が最後になることでしょう。先に書きましたように今回は、年会に初めて出席する妻を同行します。引退感謝式があるからです。

         さてこのコラムも調べてみますと、2011年3月19日に第一回目を書き始めて7年と355日(約8年間)になります。前回分で585件書いたそうです。あの東日本大災害の直後から書き始めたのですね。確か2011年3月7日~9日まで私は虎ノ門病院に検査入院していましたと記憶しています。病名は「無呼吸症候群」でした。3日間徹底的に検査されて、重症だとの結果がでました。そして即装置を夜付けて寝るようにとの指示でした。転任が決まっていましたので、飯塚病院に紹介状を書くとのことでした。そのほかに紹介状は2っ出ました。内科と整形外科の分です。あわただしい中であの11日の地震が起きたのです。11日には「ケズィック委員会」がお茶の水のクリスチャンセンターで、夕方からは西新宿の京王プラザホテルで「CBMC主催:愛さん祈祷会500名」が計画されていました。私は両方の委員と顧問をしていましたので、出席する予定をしていました。

         教団年会が終わり帰郷しましたらまた印象記を書かせていただきます。無事に病身の妻を連れて3日間を全う出来ますようにお祈りください。 

        | - | 10:08 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
        教団年会を前にして
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          〇年会を前にして:

           いよいよ8日(金)より3日間大阪で「第72回ナザレン年会」が始まります。昨年は東京で「小年会:代議員制」で行われ、私は九州北地区幹事として出席しました。この50年間(信徒時代15年、教職時代35年間)に、何回も出させていただき数えきれないです。特に信徒時代は近畿地区に属していましたので、関東地区と並んで信徒代議員は2名が出ますので、若手と年配の信徒と言うことで、若手代表としていつもベテランの信徒の方と出ていました。教職になってからは各地区(近畿、関東、九州)で幹事をさせていただきましたので、年会評議会には多く参加させていただきました。歴代の理事長にも親しく交わり、時には意見を求められました。勿論、人事の時には来てくださり自分の時(5回転任)は当然ですが、地区の教会に新しい牧師が来てくださる時も情報を求められました。幹事として知る範囲で答えました。新しい牧師が赴任された時には「就任式」も何回かさせていただきました。

           さて昨年引退させていただきましたので、もう年会は関係ないと思っていました。ところが今回は「教職引退感謝式」に夫妻でお招きいただき、10日(日)午前9時から、この2年間に引退された他の4名の牧師と共にしていただける事となりました。もう一つは鳥栖(伝)に担務牧師として遣わされていますので、3日間代議員として出席いたします。こちらも責任があります。今年の年会は私の想い出に残る年会になることでしょう。私が牧会させていただいた5つの教会、各地区の皆さんには大変お世話になりました。有難うございました。最後にここまで守り、導いてくださった主に心から感謝いたします。ハレルヤ!

          | - | 06:38 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
          3月への備え
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            〇3月への備え:

            2月は「私の想い出に残る教会、牧師方:国内、海外」を書かせていただきました。それぞれの教会、牧師方には書ききれない想い出が一杯あります。いつか機会があれば書きたいと思います。また今まで関わった超教派の働きも多くあります。こちらも改めて書かせていただきたいと思います。

             さて、2月も終わり、3月に入ろうとしています。3日は最初の礼拝です。私の方針としては必ず1~2ケ月前に礼拝予告(聖書箇所、説教題、讃美歌、担当者:司会、祈祷者、CS奉仕者当)をしています。また「祈りのノート」を前もって出し、家庭でも心を合わせて祈ってもらうようにしています。勿論、祈祷会では最後に心を合わせて祈ります。当日の礼拝週報には当日の説教要旨を3ポイント様式で載せています。この様式は故本田弘慈師に言われたものです。「日下部先生、説教はねえー分かりやすく、特に新しい方に配慮して伝えて行きたいものです。3ポイントで語り、例話も入れ、明るく語り、ユーモアも入れて、最後にしっかりと信仰の決断を求めたらいいでしょう。」

             3月は年度末です。もう間もなく鳥栖(伝)に帰って来まして1年になろうとしています。献身者の兄弟をフィリピンに送り、祈りのしるしとして毎月献金して支えています。小さな伝道所ですが、献身者が出ることは何と幸いなことでしょうか。

             3月8~10日(日)まで大阪の国際センター(ホテルフクラシア大阪ベイ)で「ナザレン第72回年会」が開催されます。多くの方々が代議員として全国から、海外から参加されます。日本ナザレン教団の理事長も新たに選出されます。とっても大切な大年会です。昨年引退しました私達夫妻も招かれて、10日(日)の合同礼拝の前の午前9時から「引退教職感謝式」に参加します。この2年間に引退された先生方が対象です。その後に、「召天教職記念会」がもたれます。この2つの式が1時間もたれます。

             3月が年度最後の月ですので、しっかりと守り、新しい年度の4月に備えて行きたいと思います。皆さんのお祈りを感謝いたします。

            | - | 07:25 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
            私の想い出に残り残る在日大韓教会の牧師:
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              〇私の想い出に残る在日大韓教会の牧師:

               最初に日本に大韓教会を作られた牧師のお一人の「金 元治:キム ウォンチ」師です。大阪西成教会元老牧師でした。大阪時代に大変お世話になった牧師の方です。特に日本キリスト伝道会「幻を語る会」には、いつも東京にご一緒させていただきました。何回か当時の会長の原 登先生にも大阪に来ていただき、大阪に支部を作るために大会を金先生と共に実行いたしました。実行委員長の松田幾雄先生も山口から駆けつけてくださいました。金先生には桃谷教会にも来ていただき、信徒セミナーでお話しをしていただきました。「個人伝道は難しくない。こう言いなさい。この教会はすばらしい。牧師先生のお話もよく分かり、やさしい」とだけ言い、新しい人を連れて来て牧師に会わせなさい」。さらに「あとは牧師がフォローされるから」と熱く語られたのを思い出します。

               もう一人は、李 聖柱(リーソンチュウ)牧師です。リー先生は北朝鮮から動乱の時に逃げて来られた方です。途中で捕まり、銃殺されようとしたときに、銃弾がそれて救死に一生を得られた方です。北朝鮮の隊長が「お前はまだ若いから、私の子供の家庭教師になれ」と言われたのです。その後、解放されてアメリカに留学され、その後にメソジストの神学大学を出られて、日本に遣わされて来られたのです。沖縄や北海道や福岡等を開拓された牧師です。私は鳥栖で開拓時代に親しくさせていただき、家族付き合いをしました。李先生が福岡の大韓福岡教会を牧会し、新会堂を建てられた時です。温厚な先生で奥様もワゴン車を運転される活発な方でした。韓国からの神学生も何回か福岡に来られた時も、鳥栖(伝)には宿泊施設が敷地内にあり、10数人はいつも泊まれましたので李先生から訓練の時を委ねられました。李先生が牧会中に教会が分裂したこともありました。色々なことを乗り越えて先生は牧会伝道に励んでおられました。私も先生の姿勢に教えられました。在日の牧師方には本当に感謝の程しかありません。

              | - | 20:21 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
              私の想い出に残る台湾教会牧師方
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                〇私の想い出に残る台湾教会牧師方:

                 台北の僑愛ナザレン教会の張 明録牧師(台湾ナザレンの監督を3期勤められた)、高雄の梁 明和牧師、中部の旧高砂族の博愛長老教会(和平郡博愛村)の林 誠牧師の3名をあげます。梁牧師は20年ほど前に日本ナザレン創立90周年記念大会(東京のホテルイースト会場)に招待された台湾ナザレン教会の団長(10数名)として来られた方です。日本語が出来る長老の牧師でした。その後、高尾教会での梁先生の引退式にもお招きいただき、メッセージをさせていただきました。山地の教会(台湾ナザレンの発祥地)にも行かせていただきました。張先生にはその後に日本と台湾のナザレンの架け橋として何回も交流いたしました。特に桃谷教会と僑愛教会は「姉妹教会の締結」をいたしましてからは、より一層信徒間の交流も盛んになりました。張先生の奥様の父上が林 誠先生でした。林先生も日本語が出来て、若き時代に東京聖書学院(ホーリネス)で学ばれ、小林先生の弟子です。お元気な時は毎年夏に小林先生は林先生を訪ねて台湾に行かれていました。林先生はあの福音歌手の森ゆりさんを台湾教会に最初に紹介された方でもあると聞いています。

                 私は僑愛教会や博愛教会で何回もメッセージをさせていただきました。また台湾中を巡回して色々な教会で交流をさせていただきました。台湾の方々は私達日本人に親しみを持ち、好意的に接してくださいました。その後に日本ナザレン教団は正式に「戦責告白」をして謝罪いたしました。私は高齢になり、引退いたしましたのでもう韓国にも、台湾にも行けませんが、いつも私はアジアの教会のことをを覚えてお祈りしています。

                | - | 11:09 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                想い出に残る韓国教会牧師方
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                  〇想い出に残る韓国教会牧師方

                   何と言っても韓国ナザレン教会の創立者のおひとりの「金 永伯牧師」(元南ソウル教会)です。先生は何回か韓国ナザレン教会の監督をされました。日本語もお上手で、日韓ナザレン教会の交流の基を作ってくださいました。

                   もう30年ほど前でしょうか、日韓教役者会(金ジュンゴン師:韓国CCC会長主催)がソウルで開催され、私は途中で抜け出して、金永伯師に会いに行ったのを思い出します。それから何回かお会いして、親しくさせていただきました。先生のご自宅にも泊めていただいたこともあります。先生はいつも穏やかな姿で迎えていただきました。奥様もお世話をしていただき感謝でした。南ソウル教会は女性方が活発で、日本からも女性会が行かれて交流がされました。

                   先生は英語もよく話され、米国にも留学され、博士号も取得された方で、まさに教派を超えて韓国キリスト教会の重鎮です。韓国の軍牧(軍隊のチャプレン)の会長もされていました。確か、鳥栖の開拓伝道10周年のお祝いに、10何名かの韓国ナザレン教会の監督たち(当時韓国ナザレンは5部会に分かれていました)や、メソジストの中心牧師たちを連れて鳥栖(伝)に来てくださいました。庭に大きなテントを張り、焼き肉パーテイーをしました。キムチも近くの知り合いの社長(キムチ会社、在日大韓教会役員)に半額で分けてもらい、車一杯積んで来たのも楽しい思い出です。しばらく車からは匂いが消えませんでした。焼肉やキムチの御馳走に監督たちは大喜びでした。それから別府温泉、阿蘇、福岡と大型バスで回りました。このように金先生をはじめ多くの韓国の牧師先生方との交流は、やがて日韓のナザレン教会の交流に広がっ行きます。また超教派の交流にも実を結んでいくのです。まだお元気でおられる金 永伯先生、有難うございました。

                  | - | 15:05 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                  私の想い出に残る牧師方
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                    〇私の想い出に残る牧師方:

                     今回はアジアおよび在日の牧師先生方の想い出を書きたいと思います。多くの先生方との交流がありました。約30~40年前からの交流であり、私なりに「韓国や台湾教会との橋渡し」をさせていただいたのではないかと思っています。

                     先ず韓国の「監理教:メソジスト」(韓国では長老教会と並び大きな教団です)の「催 明換牧師」です。30数年前に福岡であった日韓教役者セミナーで多くの日韓の牧師が集まり、その中のおひとりでした。3日間ありましたが、ある礼拝で日本側の牧師が欠席されて、私に急遽してほしいとの要請があり、60分ほどの説教をさせていただきました。今思えば聖霊のお導きだったのですね、み言葉を語るうちに「戦責告白」ー次々と出てきて涙を持って「日本の犯した罪をお許しください」と訴えていたのです。その礼拝が終わると、ある長老牧師が私のところに駆けより「日下部先生、よく語ってくださいました。本当に感動しました。ぜひ韓国に来て、多くの教会で今日のようなお話しをしてください」。さらに「私が今後、日程を組み、通訳もします」とのことでした。何とそれから5年~10年間の訪韓が実現して、20回〜30回ほど韓国教会を訪問して、説教他の奉仕をさせていただきました。当時はまだまだ厳しい日韓関係が続いていて、「近くて遠い国」と言われていました。

                     最初に私が訪韓したのは、以前にも書きましたが本田弘慈師と森山 諭師のカバン持ちとして行ったのです。その時に両先生がどの集会でも「地べたの祈り」をされて「戦争の謝罪」をされたのです。まさか今度は私自身がするとは思いもしませんでした。「キリストの愛にあって許します」と行く先々で教会の人々が涙を持ってハグし、親しい交わりを持ってくださいました。催 明換先生、有難うございました。今はもう天国に行っておられるのではないでしょうか。南北動乱で身ひとつで逃げて、あのハンガンを泳ぎ、南鮮にたどり着き、教会を作り、日韓の架け橋になってくださった牧師でした。南北統一の祈りとご家族との再会を願い、「日下部先生お祈りをよろしくお願いいたします」と、いつも篤く願われた牧師でした。

                    | - | 11:19 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                    想い出の牧師方
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                      〇想い出の牧師方

                       パン屑牧師の愛称で有名であった故加来国生牧師(バプテスト連盟の佐賀キリスト教会元牧師)です。先生は何回も私が開拓した鳥栖ナザレン伝道所に来てくださいました。同じ佐賀県で開拓したのがよほど嬉しく、気になり心配してくださったのでしょう。私の母教会の京都本町教会の大先輩の先生です。戦前、京都本町教会のナザレン神学校を出られて多くのナザレン教会を開拓され、牧会されました。第2次世界大戦終了後にはナザレン教会はまだ再建されていませんでした。それで加来先生はバプテスト教会を作られ、今のバプテスト連盟の基盤になったのです。先生は多くの弟子たちを残されました。とってもユニークな牧師で、話術が優れ、教会外の人々にも受けました。自分で尺八を造り、朗々と讃美歌を吹いておられました。

                       私の鳥栖開拓にも色々な面で応援、援助してくださいました。いつも外に出られない奥様が、このナザレン伝道所にはお二人で訪問してくださいました。ある時には奥様がピアノで伴奏して、先生が尺八を吹き、時にはあの先生の渋い声で歌ってくださいました。貴重な時でした。なかなかそのような機会はないと関係者から聞きました。前後しますが1983年に鳥栖開拓をスタートしたのですが、その開所式(私の任命式兼ねて)にも来てくださり、「日下部先生、よく来てくれた。この佐賀という所は並大抵では福音が定着しない。苦労するが先生の内にあるものがあるなら、きっと祝福されるだろう」と、禅問答のような言葉をいただきました。5周年の時には「今までよくやったね。わしも変わっているが、君も変わっているね。これから楽しみだよ」と言われました。加来国生先生は日本の代表的な牧師で、各方面に用いられた方でした。

                       

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